前津小林文庫 史料整理報告書(2018年度)
角田朋彦
◎『道中日志』について
『道中日志』という書名から、分類では「紀行」にしたが、
内容的には「尾張」にすべきものである。
形態は小横。 表紙には「道中日志」「尾藩 岡野高英」
とあり、尾張藩に属す岡野高英なる人物の手によるものである。
今度慶喜已下賊徒等、江戸城江逃、益暴迷を恣にし、
四海暃仏 万民塗炭ニ□むとするを忍ひ□わす、
叡断を以 御親征被 仰出候付而は、御人撰を以被置大総督候間、
其旨相心得、畿内七道大小藩各軍旅用意可有之候、
という書き出しで始まるこの『道中日志』は、
単なる物見遊山の中で記された紀行文ではなく、
江戸を目指して東下する新政府軍に
従軍する中で記していったものである。
慶応3年(1867)10月の将軍徳川慶喜による
大政奉還、12月9日の王政復古のクーデターに
よって新政府が成立した。尾張名古屋藩は、
徳川将軍家につながる御三家の一つでありながら、
この時には藩内の佐幕派を一掃して討幕勤王の姿勢を示し、
東下する新政府軍に従っていったことは知られている。
岡野高英が記した『道中日志』は、
この時の新政府軍に従い東下したときのものである。
慶応4年2月18日朝に尾張に入った新政府軍は、
26日に駿府まで進んでいる。
この『道中日志』はそこまでの行程や、その間に出された
軍令などを記し、さらに同年閏4月から5月にかけて出された
「陸軍法度条々」や各種軍令も書き写されている。
「右、御規則之条々、堅相守り、進退の動作臨機
御指揮可報旨、参謀令御沙汰候事、」
の一文で書き終えているこの『道中日志』は、
新政府軍に身を投じることで時代の変化に応じていった
一人の尾張藩士の生の姿が如実に現れているものといえよう。