前津小林文庫 史料整理報告書(2021年度)
角田朋彦
仮目録化した資料のうち、写本を中心に尾張国に関するものをいくつか列挙しておく。
・「名古屋見付随筆」(仮番号18)
福引・見立・情歌など各種のものを筆写したもの。表紙裏に「此書は名古屋門前町「三国 一」あまざけや主人大口高根自筆也。」という朱筆があり、大口高根(六兵衛)なる人 物によるものである。
・「若宮託宣 全」(仮番号25)
名古屋の総鎮守である若宮八幡社の神の子花盛が尾張藩士に対して発した言葉をまとめ
たものである。
・「御普請御定法 坤」(仮番号64) ・「備前守検地法式 完」(仮番号822) ・「治水考并治水条目」(仮番号824)
これらは普請や治水・検地など藩政に関わる資料である。「検地」は宝暦4年(1754) 正月19日に山中忠義が書写した旨が記され、「治水」は尾張藩の儒者中村習斎(蕃政) が著した「治水考」「治水条目」を書写したものである。
・「官家領知高覚」(仮番号738)
朝廷の諸官人に至るまでの知行高を書き上げたもの。表紙裏袋の内側には「官家分限 延宝四丙辰年」の記載がある。また「此書ハ紀伊長沢伴雄大人ノ旧蔵書也。大正十一年 十月廿九日大阪市東区安土町書林鹿田静七店ヨリ求之。山田幸太郎(花押)」という朱 書きの注記があり、来歴がわかるようになっている。
・「編年大略 坤」(仮番号834)
尾張藩第2代藩主徳川光友(瑞龍公)の治世のうち慶安3年(1650)から元禄13年(17
00)までを描く尾張藩史。『瑞龍公実録』(八木書店)との比較をする必要がある。
・「とやまの春」(仮番号840)
江戸の尾張藩下屋敷である戸山邸の庭園を佐野義行が記したもの。これを寛政5年(17 93)に書写している。「郷土古陶磁・名城関係資料展(昭和29年4月1日~6月10日)」に出 品したときの目録と借受票を挟み込んでいる。
・「町中・寺社門前・町続 町名付」(仮番号874)
詳細は不明であるが、尾張名古屋の町やそれに続く地域の名付けなどを記している。
・「桶狭間合戦記 全」(仮番号904)
菅原(五味)重理が筆写したもの。桶狭間の合戦に関する類書は数多あるので、それら と比較対照してみる必要がある。
○「尾張国古城之覚」について
本報告では、仮目録化した写本のうちから「尾張国古城之覚 全」(仮番号905)を紹 介していく。
まずは本資料を見ていく前に、尾張国の古城に関する資料について概観しておきたい。 具体的には『国書総目録』から、関係しそうなものと見られるものをピックアップする。 1「尾張古城記」 1冊 ○別尾張国古城記 ○類城郭 ○写高木・旧三井
2「尾張古城志」 1冊 ○別尾張国古城志・尾州古城志 ○類城郭 ○著天野信景
○成宝永5 ○写鶴舞(2部)・岩瀬・蓬佐(天保6写) 3「尾張古城志補遺」 ○類城郭 ○著天野信景? ○成享保16? ○写鶴舞・蓬佐
4「尾張古城跡」 1冊 ○類城郭 ○写刈谷・鶴舞
5「尾張古城録」 1冊 ○類城郭 ○著天野信景 ○写国会 6「尾張国古城伝記」 1冊 ○類地誌 ○写無窮神習(享保15伊藤経周写) 7「尾州古城集」 1冊 ○類地誌 ○写岩瀬
8「尾州古城跡」 1冊 ○類地誌 ○写鶴舞
『国書総目録』に見られる類書と思われるものは、以上の8件のみである。このうち成 立年代が明確なもの、もしくは推定されるものは2「尾張古城志」の宝永5年(1708)、 3「尾張古城志補遺」の享保16年(1731)の2点のみである。また著者が明確なものは2 35の天野信景だけとなっている。つまり、多くが著者・成立年代が不明なものというこ とになる。
さて、以上のことを前提にして、「尾張国古城之覚 全」(仮番号905)について見ていきたい。
まずは外観的情報について。本資料は10丁の料紙を袋状にし、表紙・裏表紙を付して四 つ目綴じで綴じた竪本型の筆写本である。表紙には直接「尾張国古城之覚」と表題を記し た上に「尾張国古城之覚 全」と記した題箋を貼り付けている。内題や著者などの表記は ない。本文1丁目には「山田蔵書」の蔵書印が捺されている。
次に内容について。本文冒頭は「覚」で書き始めている。その後に「知多郡寺本村古城 跡」などと城の所在地を書き、続けて東西・南北の間数、堀があれば堀の様子(一重か二 重か)、そして由緒や来歴などを簡単に記述している。所在地の村名がほぼ城の名前とな っている。
本資料には、知多郡寺本村の古城跡=寺本城に始まり、42か所の古城を書き上げている。 以下に42か所の所在地を列挙しておく。
1知多郡寺本村古城跡?
2愛知郡岩崎村=岩崎城
3同郡沓掛村=沓掛城
4同郡荒子村=荒子城
5同郡山崎村=山崎城
6同郡星崎村=星崎城
7同郡鳴海村=鳴海城
8同所中島=中島砦9知多郡大高村=大高城
10同所鷲津=鷲津砦
11同所丸根=丸根砦
12同郡坂部村=坂部城?
13海西郡赤目村=赤目城
14中島郡一之宮村=一宮城
15同郡苅安賀村=苅安賀城
16葉栗郡黒田村=黒田城
17丹羽郡楽田村=楽田城
18同郡=?
19春日井郡小田井村=小田井城
20同郡比良村=比良城
21同郡小幡村=小幡城
22同郡守山村=守山城
23同郡品野村=品野城
24同所=桑下城
25中島郡勝幡村=勝幡城
26春日井郡清須村=清洲城
27同郡小牧村=小牧城
28同郡末森山=末森城
29同郡上野村古城=上野城
30同所=?
31丹羽郡岩倉村=岩倉城
32海東郡蟹江村=蟹江城
33知多郡緒川村=緒川城
34同所=?
35同郡宮山村=宮山城
36同郡大草村=大草城
37同郡常滑村=常滑城
38丹羽郡浅野村=浅野城?
39知多郡木田村=木田城?
40同郡吉川村=吉川城
41同郡北川村=北川城?
42同郡大桑村=大桑城?
以上の城跡を『日本城郭大系 第9巻(静岡・愛知・岐阜)』(新人物往来社、1979年) に採録されている城郭と照合し、『大系』に確認できないものには「?」を付した。多く は所在地が「同所」「同郡」としか書かれていない城跡である。ただし24については、由 緒で別名を「桑下城」と書いていたために判明したものである。もっとも、不詳の城跡で も、ある段階の城主を記しているため、丁寧に照合していけば確実になるであろう。
42か所の城跡を列記した後に、「以上、城数屋敷共四十二ヶ所」と留め書きをし、「元 禄九子三月中旬」の年記と本資料を記した理由を記述している。各城跡の由緒に見える「元 禄九年迄」が年記と齟齬がなく、本資料の作成は元禄9年(1696)のことであったと見て よいであろう。この作成年次は、先に見た『国書総目録』に掲載されている8件の資料よりも古い段階で作成されたものとみていいかもしれない。
ちなみに、2「尾張古城志」は『愛知県中世城館跡調査報告IV(知多地区)』(1998) に全文が翻刻されている。それを見ると、「尾張古城志」では150余か所の城郭が取り上 げられている。本資料と「尾張古城志」とを丁寧に付き合わせていくことで、本資料のよ り正確な資料的位置付けが可能になるものと考える。