前津小林文庫 史料整理報告書(2019年度)

【仮番号 0856『(古状揃)』】についての追加報告

田中 葉月

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◇『往来物』【(仮番号 0856)「(古状揃)」題簽欠: 題名不明】について
2018 年度報告書では、本書の題簽が欠落し書名が不明であった為、版本の内容から勘案し「(古状揃)」を仮書名とするにとどまっていた。しかし、今次調 査において、奥付にある書肆 永楽屋東四郎を手掛かりに、永楽屋が刊行に関わ る古状揃系統の諸本と比較検討した結果、本書は『永楽古状揃大全』であるこ とが判明した。

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『永楽古状揃大全』は、本文に中世以来、初学教科書として用いられてきた「今川状」「初登山手習教訓書」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷送状」 「経盛返状」「大坂状」「同返状」の9状を掲載する。本文は、江戸時代後期 に一般的的であった古状揃の配列形式を取り、表紙扉、前付、頭書には、様々 な付録記事や挿絵図を配す。

 現在、『永楽古状揃大全』には、同書名で、版の異なる類書が数種確認されて いる。この書名は、天保 4 年に永楽屋が鱗形屋孫兵衛より版権を買い取ってからのものであるが、前津小林文庫と同じ[天保 4 年 書林 尾張名古屋本町七丁目 永樂屋東四郎、江戸日本橋通白銀丁二丁目 同 出店]の奥付をもつ版本には、少なくとも本文に鱗形屋孫兵衛版、或いは、岩戸屋喜三郎版の旧版木を用いた無訓本と(注1)、天保 4 年、永楽屋東四郎求版により新刻された付訓本の 2種が存在する。又、その後の天保 12 年に、版権が茶屋源蔵に移ってからも同書名のまま刊行され、さらに明治元年には、永楽屋が三刻として同書を刊行するに至っている。順って本書の蔵版者には、以下の変遷がみられる。

[江戸]鱗形屋孫兵衛→[江戸]岩戸屋喜三郎→[名古屋]永樂屋東四郎→[美濃]茶屋源蔵→[名古屋]永樂屋東四郎 である。

これら『永楽古状揃大全』系列の中で、[江戸日本橋通白銀丁二丁目 同 出 店]を本店と並列して奥付に記す版本は、天保 4 年版に限られるが、表紙には、 紺表紙(後印本が多数存在すると思われる)の他に、模様表紙2種が確認される。模様表紙は、無訓本・付訓本それぞれに刷り文様をかえ、色題簽・表紙目録を付すなど意匠を凝らした装丁が施されている。

(『永楽古状揃大全』(書誌資料編)、別表:永楽古状揃大全比較  を参照されたい方は文庫にご連絡ください )

天保 4 年(1833 年)は、永楽屋が江戸出店を果たし、本格的な創業を開始した時期といわれている。前津小林文庫が所蔵する『永楽古状揃大全』の奥付には [天明三辛丑年 鱗形屋孫兵衛 原版/文政九丙戌年 岩戸屋喜三郎 再販/天保 四癸巳年 求版 書林 尾張名古屋本町七丁目 永樂屋東四郎/江戸日本橋通白銀 丁二丁目 同 出店]とあり埋め木等の痕跡はみられない。また、本書は永楽 屋自店で新刻した付訓本であり、原装を維持した早印本か、或いは、求版され た天保 4 年以降から、版権が移動する天保 12 年頃の間に刊行されたと考えられる。この模様表紙(付訓本)は、江戸を拠点とする鱗形屋孫兵衛や岩戸屋喜三 郎の旧蔵版ではないことから、刊行部数が少なかったとみられ、他の資料保存 機関には所蔵がなく、希少な原本と考えられる。

 これら一連の『永楽古状揃大全』系統の刊行状況をみると、本書は、永楽屋発展の契機となる、江戸出店を探る手掛りとなる原本である。
しかし、版本の場合、後印される事も多く、修理等で表紙変えやページの差し替えなど、後年手を加えられる版本が少なからず存在することから、未だ検討の余地が残される。このため現在、同書系統に用いられている和紙の分析からも比較検討を進めている。

 料紙(和紙)の観点では、尾張を拠点とする永楽屋東四郎(東壁堂)の活躍に 大きく関与する地理的条件として、美濃紙の産地(岐阜県南部:旧美濃国)に 近く、紙の入手が容易であった点に注目している。前津小林文庫には、永楽屋 を筆頭に名古屋を拠点とする書肆の版本が多数所蔵されていることから、今後、 目録作成と並行し永楽屋(東壁堂)を中心に名古屋書肆と美濃、江戸や京都との繋がりを紙の視点からも分析を試みたいと考えている。

(注1)
『永楽古状揃大全』の刊記にある鱗形屋孫兵衛 原版と思しき『初学古 状揃』系統の類書が何冊か確認される。書名は『初学古状揃万宝蔵』等様々で ある。扉、前付は、『永楽古状揃大全』(無訓本)とは異なるが、頭書には「早 道童子寳」を掲げ、本文字形も酷似する。